uncleyieのア・デイ・イン・ザ・ライフ
趣味を中心に人生の日々を綴ります。時にはボヤくこともあります。
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ルノワール+ルノワール展に行く
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 京都国立近代美術館で催されている『ルノワール+ルノワール展』に行った。http://www.ytv.co.jp/event/renoir/index.html
 このところ美術展なんてご無沙汰なのだが、珍しくルノワールなんて余りにもポピュラーな画家の展覧会に行ってしまった。当初、行くつもりなんて皆目なかったのである。

 実は私の職場に1人私と同様に美術に興味を持っている者がいて、時々、そういった話をすることがある。彼は自身でも絵を描いていて、よく絵画コンクールとかに自作の絵を出展している。それで佳作程度の入選を繰り返しているが、彼が言うにはルノワールの絵を今さら観にいきたいとは思わないといった。それは私も同感であって、何を今さらルノワールだという思いがあった。

 それこそ印象派の画家ルノワールの展覧会なんて、過去にどれほど日本で開催されたことか、それに日本の美術館が大枚を叩いて買って来ては、美術館の目玉にしているところだってある。だから日本で公開されたことの無いルノワールの絵画はだんだんと少なくなっている。おそらく運搬が無理なほど大型の作品以外は、ほとんど日本の美術館で一度は展示されたことがあるのではないだろうかと思ってしまう。だからルノワールの絵には少々、食傷気味で、またかという気がしないでもない。では、なんで行ったのだと問われると困ってしまうが、それはルノワール+ルノワールという展覧会のタイトルに惹かれたからとだけ言っておこう。つまり有名な画家であるピエール=オーギュスト・ルノワールと、もう1人のジャン・ルノワールという映画監督に焦点があてられていたからである。

 日本の多くの絵画ファンはオーギュスト・ルノワールが大好きだ。特に女性はルノワールの絵が好きなようだ。今回の展覧会も予想通り多くの人で埋まっていて、半数以上は女性だった。でも彼の息子がフランス映画界の巨匠ジャン・ルノワールであるということを、どれだけの人が知っているのだろうか。父が日本で有名すぎるぐらい有名な画家であるのに対して、その息子の映画監督となると、今時は知る人ぞ知るぐらいだろう。

 あいにく私は美術も好きだが、映画も好きなので、ジャン・ルノワールの映画はよく観たものである。おそらくフランス古典映画の5大監督の1人であるといわれると驚くかもしれない。ジュリアン・デュヴィヴィエ(『望郷』『舞踏会の手帖』『巴里の空の下セーヌは流れる』)、ジャック・フェデー(『ミモザ館』『女だけの都』)、マルセル・カルネ(『霧の波止場』『悪魔が夜来る』『天井桟敷の人々』)、ルネ・クレール(『巴里の屋根の下』『自由を我等に』『巴里祭』)と並んで戦前から活躍した映画監督として、ジャン・ルノワールは高い評価をされていたのである。だから父ルノワールの名声を借りなくても立派に知れ渡っていなくてはならない巨匠なのであるが、戦後のルノワールの映画は高く評価されず、今の映画界にあっては忘れられた存在と言ってもいいだろう。だから今回、父オーギュスト・ルノワールと一緒に息子ジャン・ルノワールがクローズアップされたことは喜ばしい限りである。

 ただ今回の展覧会は、オーギュスト・ルノワールの日本初公開の作品が何点か含まれているものの展示作品が50点ほどと少なく、ボリューム感の無い展覧会であったが、著名な『田舎のダンス』なんて作品も展示してあった。ただいえる事は、もうルノワールの絵は見飽きているといえばルノワールのファンに失礼であるが、個人的にはルノワールの絵はあまり好きではない私からすると、何度観ても新しい発見は無く、流形的な筆触によって描かれた柔らかいフォルムを眺めていると、心が癒されるもののこれといって感動はなかった。それにオーギュスト・ルノワールの絵画の展示スペースの間に、ジャン・ルノワールの撮った映画のシーンが映されていて、人でごった返すギャラリーの中では異彩を放っているものの浮いている印象があって、企画としては失敗ではなかったかと思う。今まで絵画の間に映像が流されていた展覧会など、あまりお目にかかったことが無く、また多くの人は残念ながらジャン・ルノワールの映画にはあまり興味を示さない。

 つまり対象となる映画が古すぎて、今日ではジャン・ルノワールの映画を熱心に観たことがあるという世代は65歳以上ということになってしまう。そもそもジャン・ルノワールという映画監督がいたことさえ知らない人が多いのに、何を今さら『女優ナナ』『ラ・マルセイエーズ』『大いなる幻影』『ゲームの規則』『フレンチ・カンカン』『河』『草の上の昼食』だといいたくなる。

 画家ルノワールの次男ジャン・ルノワールは、1894年に生まれた。つまりオーギュスト・ルノワール54歳の時の子供ということになる。第一次世界大戦の時、参戦療養中にチャップリンの映画を観て影響を受け映画監督を志し、無声映画の頃から映画を撮り始める。やがて1937年に発表した『大いなる幻影』で一躍有名になり、最近では1939年に撮った『ゲームの規則』の評価が高く、世界映画史上屈指の名作といわれている。

 このようにフランスやアメリカで、父ルノワールの名前を抜きにしても超一流監督であるジャン・ルノワールが、今日、日本で知る人が少なくなったというのも何だか寂しい。今回、父の絵とコラボレーションという形で紹介されたが、これをきっかけにもっと知れ渡って欲しい映画監督である。

 とにかくイタリアのネオ・リアリズムを始め、世界中の映画作家に影響を与えているフランス映画の巨匠なのであって、かのフランソワ・トリュフォーが師と仰ぐほど慕っているのだから、その繊細な作品作りは父の遺伝子を受け継いでいるとも思える。ただ、戦後に忘れられた存在となってしまったジャン・ルノワール。時代のテンポについていけなかったのか、古色蒼然とした映画を1950年代になっても作っていた。その後、フランスに帰らずアメリカで1979年まで生きていたのだから、最近の人なのである。

 これを期にジャン・ルノワールの評価が再び、日本でも高まるといいのだが・・・・・・・。父オーギュスト・ルノワールの話は今さら何も語ることがないので割愛します。

浮世絵名品展へ行く
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/ 神戸市立博物館
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 浮世絵名品展の入館券
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 当ブログのカテゴリーの中に美術というものが含まれているのに、一向に美術関係の記事がないと不満の声が聞こえてきそうである。もしかして筆者は美術が苦手なのではないかとも思われているかもしれない。でも嫌いではない。いや、美術館にはよく行くし、絵や彫刻や工芸品を鑑賞するのは文学作品を読む以上に好きである。でも、最近はすっかり美術館にも足が遠のいてしまったし観にいかなくなった。

 けして出不精ではないのであるが、週一回の休日に、わざわざ美術館に行ってまで美術を鑑賞しようなどと、考えなくなったからかもしれない。それでも若いときは、片っ端から美術館、博物館等に足繁く通っていたものである。ところが、最近は美術品を前にしても感動が薄くなったというか、若いときのような感受性もなくなったというべきか、芸術のジャンルにおいて凡そ美術というものに、最も興味、関心がなくなったからかもしれない。

 かつてはレンブラント展、エルミタージュ展、印象派展、プラド美術館展、バルビゾン派展、ピカソ展、ゴッホ展、ルノワール展、シュールリアリズム展、モネ展、ベラスケス展、ルネッサンス展、セザンヌ展、アングル展、エコール・ド・パリ展・・・・それこそ行かないものは無いほど展覧会通いをしていたものである。それで、ほとんど美術誌に掲載されているような絵は見尽くしてしまった感がある。ところが私には弱い分野というものがある。それが日本画なのである。だから、これからは同じ美術展に行くにも日本の美術を重点的に観るべきではないかと考えた次第である。それで今日は神戸まで『浮世絵名品展』を観にいってきた。

 イギリスにあるヴィクトリア・アンド・アルバート美術館所蔵の浮世絵が大挙して展示してあるというので、久々に神戸まで行ってきた。神戸に行くのは半年振りぐらいである。昔は友人に会う為に頻繁に神戸へ行ったものであるが、最近はあまり行かなくなった。阪急で三宮まで特急を乗り継いでいくが、乗車駅が増えて昔よりも所要時間がかかるようになった。阪急は、これから日本の人口増が見込めなくなったから、乗客を拾おうと考えたのか、昔よりもやたらめったら停車駅を増やしてしまった。これだと京都から神戸に行くのには、何かと便利が悪い。近くまで電車で行くぐらいならいいだろうが、50km以上の距離を移動するのには、やりにくい時代になってきた。京都から大阪まで行くのにも停車駅が多くなったとぼやいていたのに、大阪の十三から三宮まで行くのにも、西宮北口、夙川、岡本と停車する。このせいで時間が予想以上にかかってしまった。ああ、昔が懐かしい。

 ようやく、三宮に到着して、神戸の旧居留地まで歩く。この付近は先の震災でズタズタにやられたが、今では見事に復興していて、超高層ビルもチラホラと目立つようになってきた。今回、『浮世絵名品展』が行われている神戸市立博物館は、整然とした居留地の一画にある。さっそく1100円を払って館内に入る。

 3階と2階が展示場であるらしい。さてさて、3階まで階段で行くが、3階の入り口に行くやいきなりの行列である。

 鈴木春信、歌川国貞、歌川豊春・・・・浮世絵師の作品が額縁に入れられて並べてある。それを人が囲むように凝視しているのであるが、浮世絵だけに一枚の絵の大きさはしれている。西洋の油絵の大作のように巨大なものはない。したがって、縦50cmもないし、横も3、40cmぐらいの小品ばかりである。それを多くの人が集るように観ているので、なかなか前に進まない。浮世絵というのは版画だけに、同じ絵柄の作品は世界中に散らばっているだろうが、それでも江戸時代に摺られた版画ばかりだから紙そのものが弱っている。だから館内の照明を暗くして、温度と湿度を一定に保って展示している。だから、作品も近付いて観なくては詳細まで窺い知れない。だからこれは参った。

 人が皆目、動かない。美術展には慣れきっているものの、人が多いときは確かに落ち着いて観れたものではない。平日に行けばいいものであるが、平日なんか行けない立場の者には、祝日や土、日に行くしか術がない。本当に困った。人垣の後ろから首を伸ばすようにして垣間見る始末。かつて日本から大量に海外へ持ち出された浮世絵が、こうして里帰りして展覧会を開くというのも妙だが、外国人によって評価され、それによって日本人が再評価するというのもこの国にはありそうだ。浮世絵は明治の初期には見向きもされなかったというから、時代によって随分と評価は違うものだ。そういえば、私の姪が言ってたが、伊藤若冲なんて絵師はアメリカ人によって評価され、最近は国内でもたいへんなブームだというから、日本人って案外、自分の足元を見ていないのかもしれない。外国の絵ばかり観る人が多いが、これからは今一度、日本古来の文化を見直すよい時期にきているのかもしれない。もう、既に西洋画はほとんど日本で紹介されつくしているだろう。門外不出というのは、規格外の大作か、寺院の壁に画かれたフレスコ画ぐらいのものではないだろうか・・・・・。これからは日本画を再認識する人が増えてくるように思う。これはいいことだ・・・・。

 さて、今回、喜多川歌麿を始め、歌川国芳、鈴木基一、渡辺崋山、といった珍しい浮世絵も多かったが、目玉は葛飾北斎の富嶽三十六景と歌川広重の東海道五十三次の版画展示だろう。北斎の富士の絵は、お馴染みの『神奈川沖波裏』『凱風快晴』である。『神奈川沖波裏』は記念切手にもなっているが、かつてドビュッシーが、その絵を観て作曲をしたというから、フランスの人にとっては度肝を抜かれるほど衝撃的で印象的な絵だったのだろう。『凱風快晴』は例の赤富士である。北斎の富嶽三十六景は計10点の展示であった。一方、歌川広重(安藤広重)は東海道五十三次、近江八景、面白いことに『摂洲天保山』を画いた作品まである。今の大阪天保山の姿を観たら、広重はあまりの変わりように仰天しそうだが、京都で終わらずに大阪まで出向いて浮世絵を残していたとは驚いた。

 さて、日本初公開163件あって、なるほどと感心しながら館を後にしたのであるが、いったいどれほどの浮世絵が海外に持ち出されたのか気になった。本当に明治維新というのは、日本の文化にとって良かったのかそれとも・・・・・・考えさせられる1日だった。
                                

シャガール展
 11月3日文化の日。爽やかな心地よい日であった。土曜日なので文化の日であることをすっかり忘れていたが、あまりの清々しさに朝早くから外出した。行き先は奈良である。そういえば正倉院展を開催している筈だ。今から25年以上前に一度だけいったことがあって、再び観てみたいという衝動にかられたのだが・・・・・・・・・・。

 正倉院展の会場になっている奈良国立博物館に着いたものの長蛇の列。ある程度は予想していたが、二重三重巻きの人で埋め尽くされていた。これでは入場するまでいったい何分かかることやら・・・。1時間位はかかりそうな雰囲気である。TDLやUSJじゃあるまいし、並ぶのはゴメンとばかり失敬した。でも家から1時間以上かけてやって来たのに、このまま引き下がれるかといった気持ちであった。それで急遽、近くの奈良県立美術館で開催されている『シャガール展』に行くことにした。

 今年はシャガールの生誕120年ということで、各地で同様の展覧会が開かれているようである。でも、それぞれ微妙に展示作品が違っていたりして、多作の画家であることを連想させる。主に今回の奈良での展覧会は ・・・・ー愛と自然の讃歌ー・・・・と題し、シャガールの油彩、リトグラフ、エッチング、写真等も展示されている。その中で目玉は『左右両岸の間のパリ』という油彩画になるのだろうか、でもシャガールの絵はモチーフが限られていて、馬にも牛にも見える動物、鶏だろうと思える動物、全体的に青味かかった色彩で、どうも私の中では消化しにくい作品が多いように思う。

 そもそもシャガールはユダヤ人を両親としてロシアに生まれたというが、印象派風の作品を描いていたのに23歳でパリに行ってピカソ、マチスの影響からかキュービズムと移行していったようである。その後、ベルリンで個展を開き認められ、再びパリに現れているが、やがてキュービズムから表現主義風の自由な描き方へと変化し、スラブ民族の幻想とユダヤ人特有の神秘主義を反映した詩情豊な画風は、シュールリアリストの先駆者であろうと目されるようになるのだが、私には理解しかねる作品も幾つか或る、皆さんも私と同様に、やはり現代絵画は苦手なのだろうか、印象派辺りの絵画展と比較すると、遥かに人の数が少ない。これがルノアールだとかモネだとかゴッホだとか、またはバルビゾン派のミレーの展覧会となると、人混みを見に行く状態になってしまうのだが、シャガール辺りの作品になると、確かにとっつきにくく親しめないかもしれない。

 ただ、パリのオペラ座の天井一面に描かれている絵は、何故か見事に古い建築物と調和が保っているから不思議である。
                               
切符deアート
使用済み切符で再現したモナ・リザ
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 カラッとしているが、陽射しが強くて汗ばむ1日。まだ本格的な秋には程遠い。秋というと芸術の秋なのであるが、これだけ何時までも暑いと、夏から一足飛びに冬になりそうで、秋は短いだろうな・・・・・。

 大阪の難波にある高島屋。ここの本館の正面入口に名画が再現されて、人だかりが出来ている。南海電車が「ナンバdeアート」というイベントを開催していて、その中の催し物の一つに、使い古した切符を使ってヨーロッパの名画を再現する試みがなされ、それらの作品が展示されている。名付けて「切符deアート」。

 南海電車のなんば駅で回収された切符32万枚を使って、有名な絵画4作品が、南海電車の従業員によって丁寧に再現され、それが今、なんばの高島屋本館、1階正面入口で展示されている。四つの作品は、ルノアールの『舟遊びの昼食』、ミレーの『落穂ひろい』、ボッティチェルリ『ヴィーナスの誕生』、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』である。

 何れの作品も見事に再現されていて、モナ・リザに関しては縦2.3m、横1.6mというもの。細部まで手が込んでいて、切符の裏の磁器を塗ってある部分と、表の白い部分を使い分け、点描写により、鮮明とまではいかないが、見事に画かれていて新聞の写真を見ているような錯覚に陥る。外出するととにかく紫外線が強くて、まだ秋らしくは無いが、芸術に触れ、心を落ち着かせるのもいいかもしれない。でも、こんな雑踏の中で展示されていてはゆっくりと鑑賞も出来ない。しかし、廃棄に困る切符を利用して、名画の再現とは・・・・・鉄道マンも色んなことをやりますねえ。

 なお、期間は10月16日までです。