uncleyieのア・デイ・イン・ザ・ライフ
趣味を中心に人生の日々を綴ります。時にはボヤくこともあります。
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uncleyieと申します。。ここでは趣味を中心に色々と書いていきたいと思います。音楽、映画を中心に、本、美術からスポーツ、競馬、芸能、時には時事問題まで、幅広い分野において話題に触れるつもりです。  またコメントなど頂ければ幸いです。当ブログはリンクフりーですのでよろしくお願いします。    なお、誹謗、中傷、冷やかしめいたコメントは遠慮なく削除させてもらいます。ご了承ください。

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太宰治の『人間失格』を読む
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 太宰治の『人間失格』を初めて読んだのは何十年前のことだろうか。その時は、到底理解しがたい生き方を選んだ人の手記に同調できなかったという強い印象があったが・・・・・・・・。

 大庭葉蔵の手記と、作家によるはしがきとあとがきからなる小説であるが、太宰治自身がモデルであることは一目瞭然である。内容は第一の手記、第二の手記、第三の手記からなり、他人の前で道化を演じてみせることは出来ても真の自分を誰にも曝け出すことが出来ない男、大庭葉蔵が自らを語っている。

 だが大庭葉蔵といってもその小説のモデルとなっているのは太宰治自身であることは、誰もが知っている事実であり、今日では自伝的小説ともいわれている。

大庭葉蔵は恥の多い人生を送ってきたという認識を持っている。また少々、人とは違う繊細な感覚を持っていて、人と全うな会話が出来ないので、人に対して道化を演じていた。それで結果として自分自身、欺瞞的な人たちに対して孤独を選択していた。だが中学時代には、その演じている道化を同級生の一人に見抜かれ恐怖感を味わう。

 旧制高校に進学してからは、人間への恐怖を紛らわすために悪友についてまわり、酒とタバコと淫売婦と左翼運動に走り、やがて人妻との一夜を迎えたあとに心中未遂事件を起こし、自分だけが生き残った。その結果、自殺幇助罪で警察の厄介になるが、父と取引の或る人の取り計らいで釈放される。でも精神的苦痛は続き、高等学校は放校になる。

 その後、大庭葉蔵は一時引受人の家に居候することになるが、家出をして、子持ち女性やスタンド・バーのマダム等と明日の無い生活にはまり込み、だんだんと人生が絶望的な状況になっていく。そして、果てには純粋無垢の女性が小男の商人に傷物にされたことで、葉蔵はアルコールを浴びるほど飲み、その勢いで睡眠薬を用いて発作的に自殺未遂を起こす。

 助かったものの酒に溺れるようになり喀血する。その後、薬に走りモルヒネ中毒となり、薬屋の夫人とも関係を結び、実家に状況を説明して金を無心する手紙を送る羽目となる。やがて葉蔵の元に引受人の男と友人がやって来て、脳病院へ入院させられるのである。ここで葉蔵は他人によって患者としてではなく狂人として扱われたと思い「もはや、自分は、完全に人間でなくなりました」つまり人間失格だと悟る。

 このような内容の小説なのであるが、現実に太宰治は女を死なせ自分だけが生き残った心中未遂事件を起こしている。太宰は小説家である以上、その汚点を書かずに済む事はできなかったのだろうが、書くことの意味があったのかどうか・・・・・・。

 しかし、太宰治は昭和23年6月13日、愛人・山崎富栄と共に玉川上水に入水して世を去る。それ以前から身体の疲労がびとく、喀血もしばしばであったという。でも39年の生涯で4度の自殺未遂があり、自殺により亡くなった芥川龍之介に傾倒していたというから、老いて自然死なんてことは生き恥を曝しているようなものだと考えていたのかもしれないが、女性と心中したというのは如何にも太宰治らしいところである。繊細でいて孤独であり、それでいて癒されたい・・・・・・?

 どうも私には、太宰治という人の感性がさっぱりわからない・・・・・・。

小林多喜二『蟹工船』を読む
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 最近は小林多喜二の『蟹工船』が異様に売れているという。何で今時と思うけども、そういう時代なのかもしれない。この小説は1929年(昭和4年)に書かれたもので、今から79年前の作品である。それが何故に最近、読まれだしたかというと、昨今の雇用問題と密接に関係しているようだ。

 『蟹工船』とは蟹を獲りそれを缶詰にまで加工する工場船のことであり、大正時代、昭和初期には多くの出稼ぎ労働者がこの船の閉鎖空間で働いていたものである。当時、貧しかった日本の労働者は、農閑期によく出稼ぎ労働者として働きに出たものであるが、大手資本企業の持つ蟹工船『博光丸』にも400人からの労働者が乗り込んでいた。彼らは概ね秋田、青森、岩手から来た百姓の漁夫で、中には炭鉱の工夫をやっていた時に爆発事故に遭遇し、命からがら逃げてきた者もいるし、北海道の奥地の開墾地の土工部屋へ蛸として放り込まれた者もいた。でも何処へ行っても騙されて低賃金で酷使され搾取され続け不当な労働条件を強いられていたものである。それで、この蟹工船の中でも同様な憂き目に遭っていたことには変りはなかった。

 蟹工船『博光丸』は、函館を出て大波のカムチャッカ沖に入りロシアの船が監視する中でも操業をしていた。蟹工船の労働者達は浅川と名乗る漁業監督にそれこそ不当に仕切られていた。浅川は棍棒を玩具のようにグルグル廻しながら船の中を歩いていた。現実問題としてこの船を動かしているのは船長であるが、船の持ち主の企業から送られている浅川は船長以上に権力を握っていた。或る日、隣を走行していた秩父丸がSOSを発信したが、救援に向おうとした船長を怒鳴りつけて、「秩父丸には勿体ないほどの保険がつけてあるんだ。ボロ船だ、沈んだらかえって得するんだ」といって救援を阻止した。

 蟹工船はどれもこれもボロ船で、労働者が北オホーツクの海で死ぬことなどは、船の持ち主である会社の重役にとってはどうでもいいことであった。資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰まり、金利が下がって金がダブついてくると、どんなことでもするし、どんな所へでも行った。船一艘で莫大な利益が見込めるのだから企業の幹部達が血眼になるのも判るような気がするが、その底辺に低賃金で酷使されている社会の末端の労働者がいることは明らかであったが、彼らにとってはどうふでもいいことだった。蟹工船は工船なので航船ではない。だから航海法は適用されなかった。だから日露戦争で使われた病院船や運送船が、再びペンキを塗られ、蟹工船として使用されていた。

 蟹工船に乗り込んでいる労働者達は、船底の糞壺と呼ばれるところで寝起きし、当然のように搾取されていた。一方、監督の浅川は漁夫を尻目にやりたい放題だった。そもそも蟹工船の漁夫を雇う時には細心の注意を払われ、募集地の村長や署長に頼んで模範青年を連れてくるというのが条件であった。その中には労働組合などに関心のない、いいなりになる労働者を選ぶことで、万事好都合に事を成し遂げようというのが資本家達の考えであった。だが、蟹工船に乗り込んだ労働者たちは、不当な扱いと蛸壺のような労働条件に業を煮やし、とうとう脚気で苦しんでいる仲間が死んでしまったのを期に、彼らはストライキを決行する。

 しかし、帝国海軍の駆逐艦がやって来て彼らの代表は鎮圧されてしまう。帝国海軍の軍艦は国民の味方ではなく、資本家の味方だったのである。ストライキを扇動した9人が銃を持った軍人に連行されてしまった。彼らは「不届者」「不忠者」「露助の真似する売国奴」呼ばわりされ、「ざま、見やがれ」と浅川に罵倒されてしまった。帝国海軍なんて、大きな事をいったって大金持ちの手先でしかなかった。国民の味方ではなかった・・・・・・・。でもこのまま仕事していたのでは、今度こそ本当に殺されると感じた労働者は再び立ち上がるのであった。今度は9人の代表に任せるのではなく、全員でストライキをやればいい。そうすれば監督も慌てるし、この時こそ力を合わせて一人も残らず引き渡されよう・・・・・・。こうして400人の労働者は立ち上がる。

 以上が、大まかな『蟹工船』のあらすじである。

 蟹工船の書かれた時代と今とでは、日本人の一般的な生活水準が違うのは当たり前だが、現在の日本社会を見渡してみると、この小説が売れる要素が何となく判るような気がする。

 企業は正社員採用をやめ、非正社員という雇用条件で会社を運営しだしてかれこれ何年になるだろうか。それ以来、契約社員、派遣社員が増え、低賃金で働かされ、企業は余った人件費で成長し肥えていく。それでいて増税につぐ増税、原油価格の上昇による物価の上昇。それでいて何の政策もなく、年収が200万に満たない者が増加する一方で、弱者虐めの消費税率引き上げを平然と掲げる政治家達。

 生活苦から自殺する者が増加する世の中でありつつも、一向に明かりが見えてこないこの世の中。結局、時代が違えどもどこか昭和初期の貧しい時期と重なる、今のどうしようもない斜陽国家・日本。はたして将来が展望できるのかさえ怪しい現実に、この『蟹工船』の物語は何故か受けるのかもしれない。でもプロレタリア文学といわれた小林多喜二の『蟹工船』が、今後の日本の将来を暗示しているとすれば、今の日本と酷似しているというだけでは済まされない気がするが・・・・・。
 
ジョージ・オーウェルの『動物農場』を読む
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 『動物農場』というタイトルを聞いて童話かなと思われるかもしれない。主人公は動物たちなのだからそのように思われても仕方が無いが、内容は峻烈な政治批判小説なのである。

 内容はというと・・・・・・・・・・荘園農場のジョーンズ氏に飼われている多くの動物達は、豚の老少佐の遺言によって人間の主人に叛乱を起こし成功する。その叛乱のリーダーは雄豚のスノーボールとナポレオンである。スノーボールは理論家で通り風車を建設して農場を機械化する計画を進めるのである。ところが、陰謀を働くナポレオンはスノーボールを追放して、彼とその取り巻きの連中を次から次へと処刑して、ナポレオンは独裁者にのし上がってしまう。

 やがて風車は嵐で倒れ、二度目は農場の奪回を企んだジョーンズたちによって爆破されるが農場の動物達はくじけなかった。でも目覚しい働きをする馬のボクサーが、過労で倒れるとさっさと町の屠殺場に送られる。数年たち風車も完成し、生産は向上した。だが豚以外の動物達の生活は一向によくならない。かつてのスローガン「二本脚は敵、四本脚は味方」を忘れたかのように、近隣の農場主と取引を始める豚たちは、近隣の人間を招いて宴会を催す。豚たちは人間と杯をかわしているが、傍から見るとどれが人間でどれが豚なのか見分けがつかない・・・・・・。

 『動物農場』はジョージ・オーウェルが1944年に書いた小説である。おとぎ話と副題がついている小説なのだが、この小説はソヴィエト社会主義体制に対する風刺小説といってもよいだろう。イギリス人のジョージ・オーウェルは、1917年の二月革命から1943年のテヘラン会談までのソヴィエトの歴史を忠実に再現しながら、スターリンの独裁政治を痛烈に批判しているのである。小説が完成した頃は、ソヴィエトとイギリスが同盟国であったため外務省の干渉もあって出版できなかったという事情もあったが、終戦後の1945年8月になって出版されたのである。するとたちまちのベストセラーとなってしまい、引き続いてジョージ・オーウェルは、その続編とも言うべき小説『1984年』を書く。この小説を読んでいると理論派の雄弁家のスノーボールはトロツキーのことで、無口な陰謀家ナポレオンはスターリンのことだということがすぐに判る。すると老少佐はおそらくレーニンのことであろう。

 ジョージ・オーウェルは1903年に生まれ、警察官としてビルマに赴任した。しかしイギリス帝国主義の尖兵ともいうべき植民地警察官の職に耐えられず帰国。その直後に作家を志す。やがて社会主義者となり、スペインの内戦でトロツキスト系のマルクス主義統一労働党の部隊に加わって戦い負傷する。また、その頃、ソヴィエトに後押しされた共産党の他党派に対する厳しい弾圧を目の当たりにして、生涯の反共産主義者、反全体主義者となったようである。でも今時、こんな小説を読む人もいないだろう。冷戦の頃ならいざ知らず、ソヴィエトが崩壊して既に20年近くなろうとしている。最近の大学生はソヴィエトって何?・・・・・と質問する者がいるそうだから、既にスターリンだのトロツキーだのレーニンだのマルクス主義だのソヴィエト社会主義だのと言ったところで、時代錯誤も甚だしい。ベルリンの壁が崩壊して、民主化が導入され、東西ドイツが統一され、鉄のカーテンが消えてしまい、ソヴィエトはロシア、ウクライナ、グルジア、エストニア、ラトビア、リトアニア、アルメニア、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、カザフスタン、キルギスタン、ベラルーシ、タジキスタン、トルクメニスタン、モルドバ・・・・・・・・・と国が分裂してしまった。

 残念ながらジョージ・オーウェルの恐れた独裁政治、恐怖政治、一党独裁政治社会はヨーロッパにおいて崩壊してしまい、彼の未来予想は外れてしまった。ただ東アジアでは未だに独裁政治体制を布いている国があるが・・・・・・・。
 
カフカ『変身』を読む
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 ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。彼は鎧のように堅い背中を下にして、あおむけに横たわっていた。頭をすこし持ちあげると、アーチのようにふくらんだ褐色の腹が見える。腹の上には横に幾本かの筋がついていて、筋の部分はくぼんでいる。腹のふくらんでいるところにかかっている布団はいまにもずり落ちそうになっていた。たくさんの足が彼の目の前に頼りなげにぴくぴく動いていた。胴体の大きさにくらべて、足はひどく細かった。

 このような書き出しで始まるカフカの『変身』は、何とも奇妙な小説である。何故、主人公が奇怪な虫に変身したのか、また何故、変身しなくてはならなかったのか・・・・皆目、理由がわからないし、小説の中でも、何故に変身に及んだかについて一切、説明がなされてないからである。

 この小説の簡単なあらすじを言うと、グレーゴル・ザムザは、商科大学を卒業して軍隊に入り、その後はセールスマンとして働き、両親と妹の扶養をしている。ところが、この妙な変身により、自分の体がどうにもこうにもならず、早朝の汽車の時間も間に合わず、店から支配人がやって来て、何故、無断欠勤するのかと家族と押し問答が始まる。鍵をかけて寝る習慣のザムザは、ドア越しに弁明をするが、支配人は「獣の声だ」と恐れをなして退散する。

 昼になり顔を出したザムザを見て母親はへたり込み、父親は部屋へ突き返そうとする。その後、この家には色々と変動があって、女中は暇を取って出て行くし、父親は銀行の小間使いとして働きに出るようになり、母親は内職の針仕事に精を出し、妹も売り子になったが、さらに良い職につこうとばかり、速記術とフランス語の勉強をやりだした。

 ところが家族はザムザを徐々に邪険にし、グレーゴルの部屋は物置同然になっていく。グレーゴルは父からリンゴを投げつけられ重傷を負い、食欲も減退し、体も衰弱していく。いつしか手伝い女がグレーゴルが横たわって微動だにしないところを発見する。父親は「これで神様に感謝できるというものだ」と言って、親子3人は電車に乗って郊外に散歩に出かける。

 何とも冷酷で寒々しい小説であろうか。何とも理解しがたい話であるが、この虫に変身するという意味合いは、カフカ自身が言うには寄生虫というニュアンスがあるようだ。カフカは父親コンプレックスがあり、父親のすねをかじっていた寄食者であった。小説の中でグレーゴルが父親が投げたリンゴの傷が原因で死ぬが、これは父親の勝利を意味している。またカフカは現実問題として、『変身』を執筆している頃、午前中は役所に勤め、午後は父親の経営する工場の管理を任されていたという。つまり父親との関係上、彼が天職と考えていた文学のための時間をつくることか困難であり、こういった焦燥感がカフカに『変身』を書かせたとも言われ、虫けらそのものは経済的に自立することができなかった自分自身を示唆しているのである。

 カフカが激しい父親コンプレックスを持っていたと先ほど述べたが、彼が36歳の時に書いた『父への手紙』を読めばよく判る。まさしくそれは、親子の関係というよりも主君と奴隷の関係のようなものである。またカフカの短編『死刑判決』のように、結婚問題を中心として父子の意見がわかれ、父から溺死の刑を言い渡された息子が自殺するといった作品のように、自己断罪に終わるといったケースが多い。

 カフカの研究家ヘーゼルハウスが言うには、文学作品におけるメタモルフォーゼ(変形)というのは、三つのタイプがあるが、カフカの『変身』の場合は、人間が低次元、あるいは無生物的な自然領域へ追放される場合に使われる技法だという。結局、カフカは現実社会と非現実社会との対比を扉一枚で使い分けていたということだろうか・・・・・・。でも小生のような凡人には理解しがたい奇妙な文学作品である。

三島由紀夫『複雑な彼』を読む
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 三島由紀夫の小説というと『仮面の告白』『金閣寺』『禁色』『潮騒』『永すぎた春』『午後の曳航』『美徳のよろめき』『絹と明察』『豊穣の海』・・・・・・ざっと名前を挙げるだけでも以上のような作品が思い出される。でも『複雑な彼』という小説は、どのような扱いになるのだろうか。およそ三島由紀夫らしくない小説といえば語弊があるかもしれないが、彼の作品の中では珍しく通俗的な大衆小説だといえるかもしれない。少なくとも三島由紀夫を代表する小説ではないことは確かだ。ところが、この小説に登場してくる人物は、おおよそ堅気な社会では通用しないスケールの大きさがある。そういった意味で、『複雑な彼』を読んだ当時、三島由紀夫はとんでもない人物を小説の中に登場させたものだと驚いたことがある。

 小説はサンフランシスコ行きの飛行機の中の描写からはじまる。森田冴子は父親の会社がアメリカと技術提携したため、アメリカへ行く度に通訳として父の供をしていた。そんな飛行機の中で冴子は、制服に包まれた背中のかっこいいステュワードの仕事ぶりに惚れ惚れする。そのステュワードは日本人離れした長身で体格も立派で堂々としていて、狭い機内で優雅に振舞っていた。気になった冴子はサンフランシスコに着くなり、彼の地に住んでいる大学時代の親友で元ステュワーデスのルリ子に、それとなく気になるステュワードのことを尋ねてみたら、ルリ子はすぐに判ったらしく、「井戸掘り君だわ」と言った。そのステュワードは、航空会社に勤める前は、金に困って井戸掘りをやったことがあるというが、それ以外は謎だらけであった。でも冴子は、ステュワード姿の洗練されたハイカラさと井戸掘り人足とが、頭の中で一つのものにならず、どういう男なのか知りたくなっていくのであった。

 日本に帰った冴子は、遠縁の伯父さんと呼んでいる紳士が井戸掘り君の若い頃の恩人だということを知り、会わせてくれと頼み込む。こうして冴子は、井戸掘り君と同席することになった。でも井戸掘り君こと宮城譲二は、冴子が考えている以上に複雑な彼であった・・・・・・・・・・・・・・・。イギリスに留学していたというし、またロンドンでバーテンダーとして働いていたともいう。女性遍歴も半端ではなく、ロンドン、パリ、ブリュッセル、ハンブルク、コペンハーゲン、エジプトと宮城譲二の片側には常に女の影が付き纏う。また喧嘩の腕もたいしたもので、ボクサーとしてリングに上がったこともある。日本に帰ってからは、ホテルのボオイ、競馬のノミ屋、キャバレーの用心棒、沖仲士、そして保釈中の身の上ながら航空会社へ潜り込み、ステュワードとして働いている。まさに日本人のスケールからはみ出している宮城譲二であり、国際人と自負する冴子も流石に驚愕せずにはいられなかった・・・・・・。とうとう冴子も彼に惚れこんでしまい、結婚を願望するが、彼には結婚に踏み切れない理由があって、冴子の前から姿を消す・・・・・・・・・・・・。

 この小説を読んだ時、実は三島由紀夫がある男をモデルにして書いたのだということを知った。その男とは、作家の安部譲二だったのである。

 安部譲二は、裕福な家庭の子に生まれ、麻布中学では橋元龍太郎と同級生だったという。だが、同時に安藤組へ出入りするチンピラやくざであった。こういったことから職を転々としてゲイバーの用心棒をしていた頃に、三島由紀夫と知り合ったという。この時、安部譲二が外国人との揉め事を見事に抑えるところを見て、三島由紀夫がボクシングを教えてくれと懇願したという。その後、執行猶予中にもかかわらず、安部譲二は日本航空にステュワードとして入社し、後にパーサーまで昇進している。しかし、過去がばれて再び、やくざの道へ転落してしまう。この間、日航に4年働くが、このステュワード時代のことを三島由紀夫が克明に書いたのが『複雑な彼』なのである。

 安部譲二は、結局は日航をクビになり、所属した安藤組も解散したため、途方にくれるが、小金井一家にヘッドハンティングされ、またゴロツキの道へ進んでしまう。その一方で、プロモーター、食品加工会社経営、レストラン・ライブハウス経営、キック・ボクシングのテレビ解説、競馬の予想屋等をやっていた。でもム所暮らしも8年に及ぶ。

 シャバにて出てからは堅気な生活に戻ろうと作家を志す。そして、『塀の仲の懲りない面々』がベストセラーになり今日に至る。

 以上が安部譲二の凡その人生であるが、彼が少年時代に犯した不始末のせいで、ロンドンのウィンブルドンへ留学されられ、その後、貨物船に乗って日本まで帰って来るのであるが、彼のような裏社会で暮らしていた人間というのは、大蔵省官僚から作家に転じたエリート三島由紀夫のような人間から見れば、計り知れない魅力があるのだろうか、女性週刊誌に安部譲二をモデルにした小説を連載していたという。これは聞く所によると、私兵の『楯の会』を創る費用を捻出するために、この『複雑な彼』を女性週刊誌に書いたというのだ。女性が読む週刊誌だから、突拍子もない男が出てこないと女性が読まないとでも思ったのだろうか、三島由紀夫は安部譲二の半生を小説にして、その費用で楯の会を創ったのだとしたら安部譲二も随分とお騒がせな男であろう。

 この数年後の1970年11月、三島由紀夫は自衛隊市谷駐屯地に侵入して割腹自殺を計り45歳の生涯を終える。でも本当に『複雑な彼』は、三島由紀夫自身かもしれない。

アナトール・フランス『神々は渇く』を読む
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 1789年7月19日のバスティーユ牢獄の襲撃に端を発するフランス革命。これはヨーロッパそのものの社会を大きく揺るがす変革期であった。・・・・・・このアナトール・フランスが書いた『神々は渇く』は、フランス革命を通して純真な若者が、断罪する側から最後に、断罪される立場となり死んでいくという話である。

 時はフランス革命後、パリの市内ではジャコバン党の恐怖政治が続いていた。大画家ダヴィットの弟子であるエヴァリスト・ガムランは、純真で一途な青年画家だった。ガムランはセーヌ川に近い古いアパートに母と2人で住んでいた。でも古臭い彼の絵はさっぱり売れず、母子は毎日の食事も事欠いていた。フランス愛国者のガムランは、共和制の将来に期待しすぎるあまり、ロベスピエールやマラーを支持し、地区委員会に積極的に参加するのであった。一方、ガムランを密かに愛している版画商の娘エロディは、彼とどうにか恋愛関係を結ぶのに成功した。ところがマラーが暗殺され、ロベスピエールが台頭する。

 やがて熱狂的な革命家になっていたガムランは、革命裁判の陪審員に任命され、共和国を守るには恐怖政治が必要であると信じていて、革命に反対する分子を次から次へと断頭台へ送っていた。実の妹ジュリーの愛人も、同じ建物内に住み、懐疑派で元貴族のブロトも、情け容赦なく断頭台へ送るのであった。しかし、何時までもその体制が続く筈はなかった。1794年テルミドールの反動により、ロベスピエールが失脚する。ロベスピエールを熱烈に支持していたガムランも遂に逮捕され、今度は自らが断頭台にかけられてしまう。かつて恋愛関係にあったエロディは、ガムランの死後、ガムランの友人で反動派の画家を恋人にして幸せに暮らす・・・・・・・・。

 いわゆるフランス革命の真っ只中の話である。当時のアンシャン・レジームといわれる絶対君主の支配による社会体制からの反発により、第三身分といわれる平民が中心になって起こったフランス革命。革命はなされたが、その後に起こるジャコバン党の恐怖政治。その中心人物がロベスピエールであり、そのロベスピエールを熱狂的に支持していたガムランが、やがて対立する穏健派によって政権を掌握されることにより、処刑されるということである。

 この小説を読んで思うことがある。ガムランは非情で冷酷で、革命闘士といったタイプに感じるが、物語の始まりの頃は、「ミネルヴァの顔立ちに似た、峻厳でかつ女性的な美しさ」を備えていた。でもその端麗な容姿を鼻にかけたりもせず、自分が美しいことにも気づかず、エロディに誘われるまで女を知らなかったという初心な少年であった。それが基本的に正義を愛し、祖国愛に燃え、純朴で一途な思い込みから、祖国を裏切る腐敗階級に対して牙を剥いてしまうまでになるのだった。真摯で純粋すぎるが故、ゆとりのない偏狭な精神の持ち主に変ってしまったのである。革命が進行するにつけ、ガムランは端麗な外見から、表情も険しくなり、「陰鬱な眼差しと蒼白い頬は憂鬱なそして激しい精神を物語る」ようになってしまうのだった。革命が進むにつれ、温厚な人間の風貌が変わっていく様を如実に表した内容が書かれていたが、革命っていったい何なんだろうと思ってしまう。

 君臨する帝政を打倒し自らが権力行使の座についても、結局は同じことである。自由平等の社会を築くためにといった大義名分はあったものの、いったん自ら政権を握ってしまうと同様の帝政を布いてしまう。まさに人間の歴史は過ちの繰り返しかもしれないと思ってしまう。自由平等の社会なんて、所詮は夢物語なのだろうか・・・・・・。

 マルクス・レーニン主義から100年以上経つ・・・・・・・スターリン、毛沢東、金日成、チャウ/シェスク、ポル・ポト、カダフィ、アミン、マルコス、フセイン・・・・・・・戦後の実権者は、どれもこれも・・・・・もう、たくさんだ。