uncleyieのア・デイ・イン・ザ・ライフ
趣味を中心に人生の日々を綴ります。時にはボヤくこともあります。

読書週間らしいが・・・・

 10月の27日から文化の日を挟んで11月9日まで2009年の読書週間らしい。私事であるが本をさっぱり読まなくなった。こんなことではいけないのだが、加齢とともに本を読まなくなった。いや、読めなくなったということになるだろうか。まず、読解力が鈍くなった、感受性も乏しくなった、それに肉体的なもので老眼が進んで小さい文字が読みににくくなったこと、さらになによりも根気がなくなった。これが1番大きいか。

 もっとも私は文学少年ではなかったので、そんなに本を読んできたということでもないけども、学生の頃は暇にあかして人並みに本を読んだつもりである。デカルト『方法序説』、カント『純粋理性批判』、パスカル『パンセ』、ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』、ハイデッガー『存在と時間』、『史記』、『十八史略』、マルクス・エンゲルス『共産党宣言』、マルクス『資本論』・・・・・・理解出来る出来ないはともかく、一応は読んでおくべき書物として、その高い壁に挑むかのように挑戦したものである。でも今となっては、何が書いてあったかというのも、断片的にしか覚えてなくて、その後の人生に活かされたかどうかも判断できないが、それでも読まないよりは読んだほうがいいだろうと思う。しかしこういった理屈の世界は面白くなく、結局は小説に向ってしまうのである。

 ディケンズ『二都物語』『デイヴィッド・コパフィールド』、大デュマ『巌窟王』『三銃士』、ショーロホフ『静かなドン』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』『白痴』、トルストイ『戦争と平和』、ゲーテ『ファウスト』・・・・・・・・これらも大半はストーリーそのものも忘れてしまったし、本もどこかへ消えてしまい、ここのブログで紹介するときは、本の写真を載せることにしているのだが、今さら買い求めることもないだろう。だから今後、再び読み直すかというと、ちょっときついかなあという思いがある。やはり大著は体力も根気も読解力も記憶力も感受性も漲っている若いときに読むべきであるということは、この歳になってみて判ることである。だから今さら言ってもしょうがないが、もっともっと若いときに本を読むべきであったとは思う。

 だが、今は私に限らず本を読まない人が増えたという。まあ、テレビがあれば暇はつぶれるし、インターネットがあれば情報は入る。でも読書癖をつけないと読解力もつかないし思考力も維持できない。読書量が1番多い筈の大学生が最近は本を読まないというから、本屋もつぶれていくし、古本屋も少なくなった。昔は京都の百万遍に古本屋が多数あったが今は減ったようだし、活字に飢えた人種が貴重価値になってきたようである。

 今後、文字で能力を鍛えていた人間は減り続け、画像、映像等の視覚から能力を得る人が増え続けると世の中は一体どうなるのだろうか・・・・・・。あまり好ましい傾向とは思えない気がする。言語を得た人類が文字を生み出し、書を残し、大衆の識字率が高くなるからこそ、教育水準が高まり文明が格段に進化してきたのだが、視覚だけで得た情報だけだと均等化された能力が育まれるとは思えない。だから若者よ、もっと本を読んでくれ!

 もっとも私が言える立場にはないが・・・・・・・・・・・。
【2009/10/31 16:54】 | | トラックバック(0) | コメント(0)

ジイド・・・・・『狭き門』を読む

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  『狭き門』は〜力を尽くして狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者多し。生命に至る門は狭く、その道は細く、之を見いだす者少なし《ルカ福音書13章24節》〜からきている

 幼くして父を亡くしたジェロームは少年時代から夏になると叔父の家で過ごす。叔父の家にはアリサ、ジュリエットという姉妹がいる。姉のアリサは物静かで、ジュリエットは活発であったジェロームと姉妹は実の兄妹のように遊びながら成長する。そんな成長過程の中で、ジェロームは次第にアリサへ恋心を抱くようになる。一方、アリサもジェリームのことを慕ってはいたが素直に受け入れることが出来ずに悩んでいた。アリサの母は彼女が推さない時に父親以外の男性と親密な関係に陥り、家を出て行ってしまったことから、アリサは母の恥ずべき行為を反面教師として男女関係というものに敏感になっていて、天上の愛を求めるようになっていたからである。またジェロームはそのようなアリサの心の奥を知り己も清く正しくありたいと願っていた。が、日々が経過するにしたがってアリサへの思いは大きくなり悩み苦しむのだった。そんな時、アリサは妹ジュリエットがジェロームに好意を抱いていることを知る。アリサは自分が身を引いてジュリエットにジェロームを譲ろうと考えるが、ジュリエットも気遣ってかなり年長の男性と結婚することに決める。

 数年後、フランスを離れていたジェロームが戻り、アリサを忘れられないジェロームは求婚する。だがアリサは取り合わない。それから3ヶ月後、ジェロームはアリサが亡くなったことを聞き、アリサの日記の存在を知る。その日記にはジェロームに対する思いが綿々と綴られていたのである。

 この小説をただの純愛小説と片付けることは出来ないのは、ジイドの作品中で唯一プロテスタントの風貌を備えるものと言われることが所以であるとされる。地上の恋を捨て、ただひたすら天上の愛を求めるアリサが物語の中心にいることは、敬虔なキリスト教徒の支配が強い風土を謳歌しているという向きもあるものの、一方でジェロームのような異性に恋心を抱き続け、一般的な愛の成就に結論を求めようとする心の動きも描ききっている。
この話はジイドの従妹であったマドレーヌがモデルになっているとされるが、現実にはマドレーヌ自身、ジイドの妻となっているから、小説と現実とではいささか食い違いが生じるものの、『狭き門』がジイドの半自伝的小説と呼ばれるのも、ある程度は納得できるのである。マドレーヌは母の不義によって心に痛手を負っていて結婚生活に極度の恐れと不信を抱いていたと思われる。結局、ジイドの熱心な求婚に心が動き、2人は結婚する。しかしけして2人は求めあう結婚生活ではなかった。

 ジイドの死後に出された『秘められた日記』によると、ジイドは同姓愛の趣味があり、結婚当初も性欲に対して無感覚で、マドレーヌのような清純な女性は肉体的欲望がないと考えていた。一方、マドレーヌは夫の欲望の欠如は自分に魅力がないからだと思い込み、人前に出ないという生来の傾向をさらに強めていくのであった。このようにして不自然な夫婦の関係でありながら、マドレーヌはジイド夫人として処女妻としてこの世を去るのである。結局、マドレーヌはジイドの創作作品の中で大きな位置を占めるにいたり、彼の著作においてマドレーヌが濃い影を落としているというのは明確であった。

 ジイドはプロテスタントの家庭に生れたが、次第と左翼思想へと傾倒していき共産主義者となる。その裏には現在のキリスト教に対する反発があったとされるが、真に理解された個人主義は共同体に奉仕すべきであるとして、彼は自分が自由に生きる世界を共産主義に求めたのだ。だが、現実のソビエトを訪れてみて、共感から批判に一転し、徐々に肩肘張った部分がとれていったものと考えられるが、晩年、ジイドはマドレーヌを失ってから彼女の存在の大きさを知るのである。ところがその間、思想の二転三転、同姓愛問題、エリザベート。ヴァン・アレグレとの肉体関係等、色々とあり、生涯においての妻マドレーヌを失ってから、その至上の愛の大きさを実感することになったのだろう。『狭き門』に登場したアリサとジェロームムとの関係は、彼の思想の中で考え得る最高の愛の形であるとするならば、現実に生きたジイドとマドレーヌとの関係は何だったのだろうかと深く探求すると、彼の言わんとする男女関係は自ずと答えが出ているような気がするが・・・・・・。
【2009/10/22 20:32】 | | トラックバック(0) | コメント(0)

三島由紀夫『仮面の告白』を読む

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永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。それを言い出すたびに大人たちは笑い、しまいには自分がからかわれているのかと思って、この蒼ざめた子供らしくない子供の顔を、かるい憎しみも色さした目つきで眺めた。(中略)
 笑う大人たちは、たいてい何か科学的な説明で説き伏せようとしだすのが常だった。そのとき赤ん坊はまだ目が明いてないのだとか、たとい万一明いていたにしても記憶に残るようなはっきりした観念が得られた筈はないのだとか、子供の心に呑み込めるように砕いて説明してやろうと息込むときの多少芝居がかった熱心さで喋りだすのが定石だった。

 このような書き出しで始まる『仮面の告白』を読んだのは高校生の頃だった。ずいぶんと衝撃的な告白の始まりであるが、生れてすぐの赤ん坊が、その時の光景を覚えているのだろうかといった疑問が生じてくる。でも三島由紀夫の『仮面の告白』には、次のように書かれている。・・・・・・・・・私には一箇所だけありありと自分の目で見たとしか思われないところがあった。産湯を使わされた盥のふちのところである。下したての爽やかな木肌の盥で、内がわから見ていると、ふちのところにほんのりと光がさしていた。そこのところだけ木肌がまばゆく、黄金でできているようにみえた。ゆらゆらとそこまで水の舌先が舐めるかとみえて届かなかった。しかしそのふちの下のそころの水は、反射のためか、それともそこへも光がさし入っていたのか、なごやかに照り映えて、小さな光る波同士がたえず鉢合せをしているようにみえた。

 これが生れたばかりの赤ん坊の記憶だとしたら、怖ろしいばかりの記憶力である。とはいうものの世の中、時々、天才と言われる人種が出現する。三島由紀夫が言うところの情景が事実だとすると、やはり三島由紀夫は天才か神童の域にある作家だったということになるのかもしれない。ただ天才と言われる人は、何かと平凡な人とは感性も美意識も違っているのかもしれなくて、この三島由紀夫の自伝的小説とも伝えられている小説の中においては、到底、私には理解しがたい描写が綿々と綴られている。

 主人公である私は祖母に溺愛されていた。祖母は私が悪いことを覚えないように近所の男の子たちと遊ぶことを禁じ、選ばれた3人の女の子とだけ遊んでいた。一方で私は従妹の家などへ遊びに行くと1人の男の子であることを要求されたのである。まさに仮面を被っていたような態度をとらなくてはならなかった。そんな私も成長し中学2年の時、近江という少年に惚れ込むようになる。近江はひ弱な私にない逞しい肉体を保持していて、そんな近江に恋心を持つようになる。つまり同姓愛的な恋心を抱くのであるが、体力的にも肉体的にも及びつかない私が、男性的な近江に恋をし、それでいて愛してはいけない存在と位置づけている自分があり、普通でありたいとも願っている私。やがて近江は退学し私の前から消えてしまい恋は終焉する。

 私という主人公は少しずつ年下の少年にも愛を感じるようになり、高等学校へ入ったばかりの頃には18歳の少年にも倒錯した目を向けるようになる。やがて大学に入り、召集令状を受けるものの、軍医に肺病と勘違いされ帰郷させられる。それでいて私は普通でありたいと思い、何時しか園子と言う女性を愛さなくてはならないという因習に囚われる。だが結局、園子を愛してないということ、異性愛者という仮面を被りとおしていたという自分自身を知る。

・・・・・・・・愛しもせず一人の女を誘惑して、むこうに愛がもえはじめると捨ててかえりみない男になったのだ、なんとこういう私は律儀な道徳家の優等生から遠くにいることだろう。

 全体的に通して見られる同性愛の現実と、普通でありたいという仮面を被った私が同供している内面の葛藤、これらが入り乱れ、私という主人公が語り綴っているのだが、この小説は三島由紀夫が24歳の時に書いた半自伝的小説と言われる。確かにひ弱で頭でっかちな少年であったという。自分に最も足りない男性的な部分に惚れていたのかもしれないが、この小説を読む限り、我々、平凡な者が考えうる愛というものとは違っていて、到底、その領域に踏み込めない我々としては、理解しがたい倒錯した愛がある。それでいて三島由紀夫は仮面を被り続けていたとしたら、その後の三島由紀夫はどこまでが真実であったのだろうか。『仮面の告白』の後の三島由紀夫がボディービルや、ボクシング等で身体を鍛えていたという事実があり、所謂、肉体的コンプレックスから派生した同姓愛なのか、それともただ、男性の肉体美に憧れていたのか・・・・・・おそらく前者だろうとは思うが、天才的な人の感受性は、私には判りかねるというのが『仮面の告白』を読んでの率直な意見である。
【2009/10/01 20:16】 | | トラックバック(0) | コメント(0)

司馬遼太郎・・・・・『燃えよ剣』を読む

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 和泉守兼定が一閃するところ血の海と化す。幕末の京都でその名を轟かした新撰組副長・土方歳三の生涯を描いた司馬遼太郎の時代小説である。

 新撰組というと人はどのようなイメージを持っているのだろうか。人斬り集団だとか、壬生の狼だとか、坂本龍馬の敵だとか、明治維新を遅らせただとか、時代遅れの成り上がり侍だとか、けして良いイメージを持ってない人は多いと思う。でもけして彼らは野卑な暴力集団ではなく、ただ幕府方の京都守護職としての任務を遂行していた素朴な連中に過ぎないのだ。そういった新撰組の中で、隊を統率するがために自ら命を張った男、それが土方歳三である。

 江戸の幕末時代、武州は石田村(現・東京都日野市)で「バラガキのトシ」と呼ばれた土方歳三は薬の行商の傍ら喧嘩に明け暮れる毎日であった。歳三の家は農家ながら豊な家であったが、家伝の石田散薬という骨折、打身に効く秘薬を歳三が売り歩いていた。その一方で町々の道場に立ち寄って剣術の修行をしていたのである。やがて江戸の柳町にある天然理心流・近藤道場に頻繁に出入りするようになり、そこの師範代となる。道場主は近藤勇である。また若手の師範代として沖田総司がいた。

 いわば近藤道場は江戸の数ある道場の中では三流道場で経営も苦しかった。こんな近藤道場の連中が気に入った歳三は、道場主の近藤とは兄弟のような間柄であり、ここから新撰組を組織して訣別するまで深い深い縁で結ばれるようになる。ところで、ここで新撰組結成からその終焉までを書き綴っていてはスペースがいくらあっても書ききれない。ここでは司馬遼太郎『燃えよ剣』を読んだ上で記事にしているのだから、簡単に進めるとする。

 新撰組というのはご存知だと思うが、幕末の頃、京都に潜伏した過激な尊王攘夷論者や不逞浪人の取り締まりを目的に結成されたいわば治安部隊のことである。江戸幕府方の会津藩の預かりで、隊の多くは関東の農民上がりである。そもそも文久2年(1862年)、江戸幕府庄内藩の郷士・清河八郎の呼びかけに乗じて集まった浪士隊の一つが新撰組へと発展したのだが、その中心になったのが近藤勇が経営する道場・試衛館に出入りしていた連中(土方歳三、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、山南敬助、斉藤一、原田左之助)である。しかし、実働は僅か5年ほどで、次第に薩長を中心とする勢力に押され、滅び行く幕府と共に消え去る運命にあったというしかなく、それでいて、現在、こんなにテレビや映画、小説などで採り上げられるようになったのも戦後のことである。

 明治維新の後、新政府がスタートしたが、新撰組は長い間、テロ集団、人斬り集団として日本史の中でアンチヒーローとして扱われてきた。それは明治政府の重鎮達は主に、長州、薩摩、土佐出身者が多く、彼らの政的としての新撰組だったからである。だから新撰組の生き残りであった永倉新八は名を変え、北海道で細々と大正時代まで暮らしていたいう事実があり、新撰組が表舞台に出てくるようになるのは、彰義隊員の孫だった子母沢寛が小説に書いてからであろう。

 さて、この『燃えよ剣』は、司馬遼太郎の想像による部分がかなり含まれていて、彼が作り上げた剣敵・七里研之助を始め情人・お雪など小説を形成する上で欠かせない脇役をいたるところで登場させているが、二人とも重要なキーパーソンとなっている。でも独特の司馬史観というのがあって、近藤勇以下、相当の思い入れがあるのか、何れも人間性が判りそうなほど、鮮明に各自の性格まで表現しきっていいる。ただどこまでが事実であったか、果たしてそのような人物であったのか、飽く迄も小説の中で表現されている人物像であるということを頭の中に入れとおかないといけないであろう。よくNHKの大河ドラマを見て、あれが真実であったかのように思われている人を時々、見受けられるが、あれはドラマの構成上、面白くするがためにある程度、作家なり脚本家なりが想像も入れて付け加えられた部分もあり、必ずしも真実であったとはいいがたい。だから司馬遼太郎あたりの歴史小説の大家ともなると、書いていることが全て、本当にあった出来事だと信じている御仁が世間には少なからずいらっしゃるので、取り敢えず口を挟んでおくことにするが、それにしても、この小説からは土方歳三の人間ぶり、男臭さがプンプンと匂ってくるではないか。新撰組というのは近藤勇が局長であることは判りきった事実なのだが、『燃えよ剣』を読んでいると、新撰組において土方歳三の持つ意味が近藤以上に大きいことに気がつく。

 近藤も土方と同じ多摩の農民の出であるが、武士になりくて、出世したくて道場をたたんで新撰組となったが、その近藤を支える役目の副長である土方が、実のところ実質的に新撰組を統率していたとしたら、近藤ファンはどう思うかしれないが、出世を夢見て、幕府の幕臣の末端にまで登りつめた近藤の側で、土方は生れついての喧嘩屋である。ただ戦を求めて、京都から、江戸、さらには奥州、函館と新撰組のただ1人の生き残りとして、最後まで戦うことを選んだ。彼には出世だの世の中の情勢などどうでもよかった。

 当初、試衛館道場時代の仲間と共に、新撰組として動き始め、池田屋騒動での一件から、幕府方に認められ、やがてその名が知れ渡るようになろうとも、土方歳三は最後まで土方歳三であった。いわゆる「バラガキのトシ」であった。新撰組も時代の流れに逆らえず、翻弄され、一人抜け、二人抜け、何時の間にか、土方歳三の周りには誰もいなくなった。それでも彼は、逃げず、投降せず、最後まで官軍と戦う道を選んだ。たとえ馬鹿げていると思っても、土方歳三は世界の大局なんかどうでもいい。最後まで戦を求めては死を選ぶ。函館まで戊辰戦争を戦った新撰組幹部のたった一人の生き残りが土方歳三である。江戸幕府の生き残りである函館政府の幹部達の中で、榎本武揚、荒井郁之助、大鳥圭介、永井尚志といった連中は新政府軍に投降し後年に新政府に仕えているが、土方歳三だけが戦死した。明治2年(1869年)5月11日(旧暦)、函館の一本木関門付近で、新政府軍の一斉射撃を受け、馬から転落してとうとう亡くなった。35歳という若さである。

 ところで司馬遼太郎が何故、新撰組の大勢の中から土方歳三を選んで小説の主人公にしたかのか判らないが、近藤のような無骨な顔に反比例していながらも一応の接客上手、出世指向の人間ではなく、絶えず2番手の位置から、自分の意の向くままに動くよう隊の規律と統率を固めた新撰組で、己の意志をぶつけることの出来た土方歳三という人物像の方が魅力的に見えたのかもしれない。鬼の土方ともいわれ、新撰組での厳しすぎる局中法度書も土方の案によるもので、士道に背くまじきこと、局を脱することを許さずといったことが取り決めとしてあり、これらに背いた者は切腹の刑が待っていたため、新撰組を抜け出そうとした者も数知れず粛清も多く、それでいて鬼の土方であり続けた。つまり新撰組の中で、組長の近藤を立てる意味で彼は嫌われ続けなくてはならなかったのだ。

 いわば妥協を許さない男・土方歳三の生き様が司馬遼太郎の目に留まったのかもしれないが、冷酷無比なように思える土方歳三を妙に人間臭く描いていて、そのことがただ一つの救いなのかもしれない。
【2009/09/02 20:16】 |

ディック・フランシス・・・・・『興奮』を読む

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 大型書店の海外ミステリー・コーナーに並んでいる緑色の背表紙の文庫本。それがディック・フランシスの競馬シリーズだが、意外にも読んでいない人が多い。それは日本人が競馬に対して偏見があるからだと思う。そういえば今から20年ほど前になるだろうか、ディック・フランシスの書くものは面白いからと、一度、ミステリー好きな女性に薦めたことがあるが、読もうとしなかった。彼女曰く「競馬ってギャンブルでしょう」と、あっさり言われ、儲けた損したなんていう話は好きではないという。勘違いも甚だしいが、「一度騙されたと思って読んでごらん」といって強引に手渡したのが、この『興奮』である。

 それで一週間ほどしてその女性が「面白かった」といって、本を読み終えて私に返却した。彼女からは、ギャンブルの話かと思ったら競馬界を取り巻く不正を暴く話で、ミステリーとしては一級品であるという返事が返ってきて、さらに他のディック・フランシスの物も読みたいと言い出した。まあ、世の中ってこういうものだろう。所詮は偏見からくる先入観だけで読まず嫌いになっていたということである。

 『興奮』の内容を簡単にいうと、イギリスの障害レースでまったく人気の無い穴馬が、突如として異常とも思えるほどの快走を見せ、番狂わせを演じて勝ちまくるケースが次から次へと起こる。これは興奮剤を馬に与えているのではないかと疑問がわくが、いくら厳重に検査しても興奮剤は検出されないのであった。また騎手、厩務員、調教師、馬主等の関係者にも不審な点は見つからない。でも不正は絶対に行なわれている。そこでオーストラリアで牧場を経営している主人公が競馬界の理事に口説き落とされて、厩務員に化けて、黒い霧の真相を探るという話である。まさに競馬シリーズを書き続けているディック・フランシス独自の視点で書いていて、着眼点が実に面白いのである。これはイギリス競馬界の内部を知り尽くしているから書けるのであって、付け焼刃で書いたようないい加減な競馬ミステリーとは一線を画すであろう。

 ところでディック・フランシスのことを知らない人のために、簡単な説明を加えようと思う。彼は1920年、イギリスのウェールズで生まれた。祖父はアマチュア騎手で、父も騎手として馬上の人であったが、第一次世界大戦後、厩舎に勤めていた。そんな環境の中で、ディック・フランシスは育ち、7歳から馬に乗っていたという。当然、彼は騎手になるように訓練をつむが、成長期に背が伸びすぎてやむなく平地競争の騎手を諦める。その間に第二次世界大戦が勃発し、ディック・フランシスはイギリス空軍に従軍する。戦後になっても騎手の道を諦められず、結局、体重があっても大丈夫な障害専門の騎手となる。アマチュアの騎手として2年働き、3年目のシーズンである1948年にプロ騎手に転向する。プロとなってからはメキメキ腕を上げ、トップジョッキーの一人となり、1953年からはとうとうクイーンマザー(現エリザベス女王)の専属騎手となり、1957年に騎手を引退するまで350勝以上を挙げる。騎手を引退してからは競馬欄担当の新聞記者となり、その後に作家に転身、推理小説を書き始め現在に至るのである。

 つまりディック・フランシスは最初から小説家として生計を立てていた訳ではなく、人生の若い頃は実際に騎手として多くのことを体験していたのである。こうしてイギリス競馬界の裏も表も知り尽くし、複雑な人間関係と、ややこしい利害関係、これらを絡めて彼特有のアイデアでミステリー競馬シリーズを書き続けているのである。これまで1962年発表の『本命』から始まって、『大穴』『重賞』『度胸』『飛越』『血統』『罰金』『査問』『混戦』『骨折』『煙幕』『暴走』『転倒』『追込』『障害』等、競馬シリーズを出し続け、固定したファンが多数いるミステリーの大家として今日では位置づけられているのである。

 日本では競馬というと、何かにつけギャンブルと一言で片付けられてしまうが、そこは競馬発祥の地イギリスである。立派に文化として成り立っている。日本での競馬ジャーナルと言えば、飽く迄も予想が中心になってしまい、問題を提議して議論百出、喧々囂々と持論を展開し、意見を戦わすといった類の競馬ジャーナルの存在はあまり無いがイギリスでは話が違ってくる。やはり競馬の歴史が300年以上もある国である。何かにつけ歴史の積み重ねがあり奥が深いのである。だから競馬ジャーナル一つとっても記者の見識が感じられ、◎○▲△といった印を競馬予想紙にうって的中率を自慢しているような、何処かの国の競馬ジャーナリスト(予想紙の記者をジャ−ナリストと呼べないかもしれないが)とはレベルが違うのである。そして、このような世界からミステリー作家が現れるのである。それで、このような彼我の差を考えると、日本において、競馬ジャーナル出身の推理作家が出てくることは有り得ないとも思える。

 でも競馬こそが最高の推理小説であると言う人がいるぐらいだ。だから競馬にはまった人は、馬券を的中することに夢中になりすぎて、推理小説なんて読まないのかもしれない。

【2009/08/26 20:21】 |

ジュール・ヴェルヌ・・・・・『海底二万里』を読む

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 おそらく大方の人がSFの物語に一度は夢中になったことがあると思う。そのサイエンスフィクション(SF)とは、所謂、現実の世界から飛躍した空想の世界を描ききったものであるが、多くの大家がいる中で、ジュール・ヴェルヌなんていう作家は大きな位置を占めていると思う。

 ここで紹介するフランス人のジュール・ヴェルヌは、そもそも大デュマを師事してロマン劇を書いていたという。それが先日、このブログ上で紹介したエドガー・アラン・ポーから影響を受け、科学技術を織り交ぜて現実性を高める方法に着目し、1865年に『月世界旅行』を書いた。この話は砲弾に乗って月へ行くというかなり無謀な話であったが、19世紀中期において、このような突拍子も無い話を書いたということでは、おそらく最初の人ではないだろうか。現在においては砲弾で月へ行くなんて考えられないが、時代を考えればこの発想は素晴らしい。おそらく今から150年前ともなると、人類が月に行くなんていうことを真剣に考えている人はいなかっただろう。まだ飛行機でさえもなかった時代だから当然ではあるが、ジュール・ヴェルヌは空想の世界で、このような物語を幾つか書いた人として現在では名が通っている。

 そんなジュール・ヴェルヌが書いた科学小説の中に『海底二万里』がある。『海底二万里』は1869年に書かれたもので、日本で言うならば明治維新の頃である。こんな時代にジュール・ヴェルヌは『海底二万里』を書いているから驚愕せずにはいられない。話は1866年、大洋の真ん中で船舶が巨大な角のようなもので船底に大きな穴をあけられるという事件が頻繁に起こった。それでフランスの海洋生物学者アロナックス博士はイッカクのような鯨ではないかと主張し、助手のコンセーユ、銛打ちの名人ネッド・ランドの3人が調査のため軍艦に乗り込む。やがて2つの光る目を持った怪物に軍艦は沈められてしまう。だが、3人はどういう因果か軍艦を沈めた怪物に助けられることとなる。その怪物はどうやら生物ではなく、人間が造った潜水艦ノーチラス号だったのである。こうして3人はノーチラス号の船長ネモと共に、長い長い旅に出ることになる。

 この空想科学小説とも言うべき『海底二万里』が世に出た時代というのは、まだこのような潜水艦なんてものはこの世に存在しない。そんな時代にジュール・ヴェルヌは潜水艦で海の中を自由自在に行き来する潜水艦の話を書いたのである。ジュールヴェルヌ時代の潜水艦というのは、まだ人力で航行していて潜ったとしても、せいぜい船体が水面から隠れる程度で、実際に内燃機関を搭載して動くことが出来る潜水艦の誕生は1900年まで待たなければならなった。でも、『海底二万里』に出てくるノーチラス号のようなナトリウム水銀電池から電力を供給して動くという万能の潜水艦ともなると、第二次世界大戦中の潜水艦でもこのような芸当は不可能であり、実際には浮上している時間の方が長く、作戦実行の際に潜航するのが一般的であった。だから現実的にいってノーチラス号のような潜水艦が現れるのは1954年の原子力潜水艦で、ようやく『海底二万里』の世界に追いついたといえるだろう。そして、この世界初の原子力潜水艦を建造したアメリカは、この潜水艦にノーチラス号と命名した。

 こんなジュール・ヴェルヌという人であるが、どんな人物だったのだろうか。彼は1928年、フランス西部の港町ナントで生まれ、大学入学資格試験に合格し、パリで法律を学ぶようになる。そんな頃に大デュマとと知りあうことになり、法律家から一転して文筆で生計を立てる決心をする。ところが、無名の頃は当然、食ってはいけないことは百も承知である。それで家庭教師、秘書などで稼ぎながら戯曲、小説等の執筆に励み、1862年『気球に乗って五週間』を書いてこれが大成功したのである。その後は『地底旅行』『月世界へ行く』『海底二万里』『八十日間世界一周』といった今日で言うSF物の作品を続々と発表し人気作家となった。また一方で自然科学の論文を盛んに読んでいたというから、彼の科学に対する知識は専門家の域に達していたかもしれない。だから未来を予見させる数々の空想科学小説が書けたのであろう。以前はジュール・ヴェルヌの作品は子供向けだとか、幼稚だとか言って評価されなかったが、最近は彼を評価する人が増えている。なにしろジュール・ヴェルヌが生きた時代を考えれば、あの当時で現代にも通じる現象を小説のなかで表現しきったことは、彼が如何に優れた予見者であったか如実に物語っていると思う。とにかく、まだ飛行機でさえ飛んでいない時代に月世界に行く話なんて、当時の誰が思いつくであろうか。まさしく彼の存在なくしては、現在におけるSFの隆盛はなかったかもしれない。
【2009/08/10 11:49】 |
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uncleyieと申します。。ここでは趣味を中心に色々と書いていきたいと思います。音楽、映画を中心に、本、美術からスポーツ、競馬、芸能、時には時事問題まで、幅広い分野において話題に触れるつもりです。

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